第38話  庄内釣話本間祐介より    平成15年9月23日

この本は、過去にみちのく豆本から出版された。

庄内竿に使う苦竹について酒田の名士であって、昔若い頃釣具屋を営み庄内竿を作っておられた事もある本間祐介氏はこう語っておられる。

「苦竹は筍が苦くて食べられぬ事からその名が付いているのです。篠竹、釣瓶竹がやや形が似ている。この苦竹は二年古まではウラ(穂先)が付いているので女竹系統のものでは類がありません。」苦竹の特徴である穂先が二年古までは100%付いている。まれに3年古、4年古であっても付いている事もある。だから、庄内地方に生えている苦竹は女竹系統の変種、もしくは新種としか分かっていないのである。

庄内竿の特徴として「庄内竿は延竿として作られたもので、初めから継竿として作られたものではない。継竿というと他の地方では他の竹を合わせて2〜3本に切って作ってある。庄内竿では継竿にしても一本の竹から作っているのであるから、生まれながらにして立派な竿になる性質を持った竹でないと竿の材料にはならない。まともな竿を作るなら竹を取ってから4〜5年経たないと完成した竿にはならない。他の地方の竿は技術面から云うと作る竿であり一方庄内竿は竹の素質を生かす竿である。」と云っている。成る程と思った。竿本来の作り方としては元々魚を釣る道具として作られた訳であるが、その土地その土地で発達した竿は、釣る対象の魚により竹の持ち味を生かす工夫がなされた結果であると思う。

庄内と地方の竿との違い


@    他の地方

a.
竹の皮を取り、糸を巻いて漆を塗って補強する。そして根っ子は切り取る。

b.竿の持つ感じは軽快で重さを感じさせない。魚の微妙な動きに付いて行ける。

A 庄 内

a.
竹の生地をそのまま生かすので、皮のついたままで美しい光沢を鑑賞の対称にしている。大事に手入れをし、年を経ると竹肌が飴色に変化する。根っ子の良し悪しも鑑賞の対象になっている。

b.他の地方の竿より重いが、手に持つとシットリ感がある。そして魚の微妙な当りが手に取るように分かる。

庄内竿は数多く魚を釣るというよりも、魚と遊ぶと云うか楽しんで釣る竿である。昔、武士たちが修行の一端としての釣をしたという事からこの様な竿が作られたのではないかと思える。家禄を食んでいた武士たちは生活がかかっている職人と違い名竿を作るためには材料、竿の製作等に手間隙を惜しまないで作ることが出来た。江戸から明治初期名人と云われ、今に残る代表的な名竿を作った人たちのほとんどが士族である。だから「魚を釣る竿というよりも、魚を釣って楽しむ竿」が出来たのではないか?その結果、名刀、名馬を愛した武士達により気品あふれた庄内竿が完成したといえる。